堺 市 探 索

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南海本線浜寺公園駅舎

明治30年(1897)には鉄道の駅が作られました。
明治時代に建築された数少ない現役駅舎としても貴重な建物です
木造、平屋建てのハーフティンバー様式の美しい駅舎

位    置

歴   史

名    所

写    真

堺市の写真たくさんあるよ   (^0_0^)   見てね・・・   [堺市HP]

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堺の秋 浜寺の松      
     

 

堺市周辺に人が定住し始めたのは旧石器時代の頃。市内の遺跡からは、約1万年前の打製石器や、縄文時代の土器・石器、弥生時代の銅鐸・土器などが発掘されています。4〜5世紀には大和朝廷が成立しましたが、堺には仁徳陵をはじめ、100数基から成る百舌鳥古墳群がつくられました。

平安時代、この地が摂津・河内・和泉の3国の境に位置しているところから「さかい」と呼ばれるようになりました。

鎌倉時代には漁港として発達し、その後西日本の海運の拠点として発展。

そして戦国時代、堺は貿易港として黄金の時代を迎えます。この時代、堺は、対明貿易や南蛮貿易など海外との交流拠点として発展しました。当時の堺は世界でも珍しい環濠都市を形成し、自治都市として繁栄しました。

明治以後、近代工業の発展、人口の増大、市域の拡大、交通の発達など、急速に近代化が進み、今日も力強い発展を続けています。

さかいのまち

過去と未来、刺激と静けさが交差する街

現在の堺市の北部に東西約2キロにわたる通称フェニックス通りという大きな道があります。ここは、その名の通りフェニックス椰子が続き、戦後、不死鳥(フェニックス)ように瓦礫の中から立ち上がった堺市民を象徴するように緑の葉を広げています。

ところで、第二次大戦に限らず、堺の街は過去に何度も繁栄と衰退を繰り返してきた街であり、破壊の度にその跡から蘇ってきた街でもあります。こうして街の上に街を、時の上に時を重ねてきた堺には、過ぎ去りし時代の思い出と、圧倒的な現代社会のパワーとスピードとがまざりあって存在しています。

市街地では人と車が行き交い、高層ビルの建設が進み、空を見上げればどこかを飛行機が飛んでいる。そんなどこにでもありそうな都市の中で、ふっと横を見るとチンチン電車が走っていたり、ちょっと路地を入るとそこだけ時間が止まってしまったような寺のお堂や境内があったり、昔の民家の格子戸があったり、ただの川かと思えば古い時代の環濠跡だったり。妙な丘あるなあと見ていると、なんとそれが古墳だったかと思えば、新しい住宅が立ち並ぶ丘陵地を掘ると、弥生時代の土器が出てきたりします。

海だって、砂浜なんて1センチも残ってなくて、とくべつ海を感じさせるわけでもないのに、よく見ると工場と高速道路に囲まれた木造の灯台がふうっと目にはいってきたりします。何度壊されようがその上にまた新しい街をつくり上げ、今もその姿を刻々と変えつつ力強さの中で、過ぎ去りし時代が、特別なんの自己主張をするでもなく、ごくごく普通にマイペースで呼吸している。堺はそんな空気の漂う街なのです。

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